僕が笑顔になれるもの その2

実は僕は料理人である、高校を卒業してすぐ和食の料理人になるべく修行にでた

もう32年ぐらい経つのか・・・とても厳しい調理場で先輩の方々は怖いし

料理のことは全くわからないし、寮に入っていたのだが先輩と相部屋で一つも気の休ま

る時間はないし、休みは少ないし、労働時間は長いし、ブラック企業もいいとこだ、今

思い出してもよく続いたなと思う、辞めよう辞めようといつも思っていたような気がす

る、高校も調理科とかではなく工業高校だったので調理の知識なし・・・好奇心だけで

飛び込んだ世界だったので大変だったなと思う・・・日々洗い物と使いッ走り、雑用ば

っかり・・・よく怒られたな~・・・鍋洗いがきつかったな~・・・ピカピカに洗いあ

げないとやり直しさせられるし、腕がぱんぱんになるし、手は洗剤にまけて痒くなるし

最初はなにも楽しいことがなかったな~

辞めたと思いながらもなんとか頑張っていると、怖い先輩方もかわいがってくれるよう

になってくる、”まかない”とかも作るのだが、美味しくなるコツを教えてくれたり

仕事も教えてもらえるようになり、「頑張れ」とか励ましてもれえるようにもなった

真面目に頑張っていると、みんなに信頼されるようになり、信頼されると、仕事も

もう一つ上の仕事をまかせてもらえるようになる、僕もだんだん料理の魅力にはまって

いった感じだ・・・なによりも転機になったのは前にもチラッと言ったが20歳の時に

最初の結婚をしたので、妻のためにも更に仕事を覚えて頑張らないとと強くおもった

早い結婚だったので周りからは反対され、特にカミさんの親御さんにはなかなか認め

てもらえなかった、早く出世して認めてもらおうとガムシャラに頑張った記憶はある

22歳の時に長男が生まれ、翌年には次男が生まれ、ますます仕事に熱がはいった!

職場もホテルの厨房、料亭、割烹・・・と転々と修行させてもらうことができ、先輩

のも恵まれ、充実した料理人人生を歩んでいたが、妻を置いてきぼりにしていた

・・・30歳離婚、僕が2人の子供を引き取り、男で一つで子育てしながら仕事して

頑張っていたのだが、やはり大変で・・・仕事人間はやめよう子育てに専念しようと

思い親をたよりに田舎に帰った!2回目の結婚をして自分の店もだせたりして

よかったが親の病気の悪化でお店はできなくなった・・自宅で弁当をつくるようにして

近くの企業に配達するようにしてそれで生計をたて、何とか子供たちを就職するま

でもっていったが再婚したカミさんさんには、かなり負担をかけてしまっていて

2年前にお互い別れて好きに生きましょうといわれた、僕は一人になったが弁当をつく

り続いている、料理も本格的な料理はつくることはなくなったが、むしろ今の方が

楽しく料理をつくっている気がする!変なプレッシャーもなく、純粋に料理を

楽しんいる、これからも楽しく料理を楽しみたい、料理好きな芸能人がつくる料理や

料理研究家がつくる料理も”なるほど”と思い自分でつくってみる、このブログでも

僕のつくった一品も紹介できたらいいなとおもっています!今も僕もお弁当を美味しい

と言って注文してくれるお客様がいてくれるとてもありがたい!感謝感謝です

これからも美味しいお弁当をつくり、楽しい料理を作り、人生を笑顔で過ごせるように

頑張りたい!!・・・苦しい修行時代だったが、その時学んだ料理が僕を支えるてくれ

いる!ありがとうございます

次回また   バイバイ